金光教の概要
金光教は、1859年に備中国/浅口郡/占見村(現:岡山県/浅口市/金光町)で開かれた幕末三大新宗教の一つです。教祖は元々農業従事者でありましたが、親神からの頼みを受けて農業をやめ、自宅を中心に相談者と神の橋渡しをする「取次」に専念するようになり、そこから徐々に悩み苦しむ人が助かり、金光教は全国に世界に広がっていきました。
金光教の考え方として、「日常生活での悩み解決を取次を通して神に伝え」、「その取次に応えて下さった神と日常の恵みを祈る」ことが中心にあります。また、「人に親切にすることで、その人が助かり、自らも助かることを教えられ、神様を拝むだけが信心ではないこと」も説いています。悩みの表出と、神への感謝、そして日常的な他者への親切な行動が、人間には必要だということが金光教の考え方になります。
練馬教会の歴史


練馬教会は昭和62年4月1日に、中央区日本橋から移転しました。以前の教会は日本橋浜町にあり、名称を久松町教会として、明治26年に布教を始めました。二代教会長田中豊三郎師の時代、大正12年の関東大震災で教会は焼失するも大正15年に再建。再び昭和20年3月10日の東京大空襲により、建物は焼失してしまいます。三代教会長田中五六師の長男は戦死し、学徒兵として出征した次男は音信普通になるも復員を果たし、そしてバラック建ての建物で教会復興をひたすら願い続けました。昭和27年には境内地が半分になりましたが教会建物を新築いたしました。その間、離散していた信徒が徐々に戻り、土地柄、商売繁盛を願い、経済的な不安を抱える人が参拝によって助かっていきました。
昭和61年再開発により、教会を含めた隣接地を購入したいとの話が持ち上がり、四代教会長田中専次師(練馬教会初代教会長)と五代教会長田中信道氏(練馬教会二代教会長)のご尽力、信徒の協力により、同62年4月1日教会を移転し、練馬教会として現在に至ります。(今年は開教133年・練馬布教39年)
1893 年
- 日本橋浜町にて久松町教会として布教を開始
1923年-26年
- 関東大震災にて教会焼失
- その3年後に教会建物を再建
1945年-52年
- 東京大空襲にて教会焼失
- その7年後に教会建物を新築
1986年-87年
- 再開発により久松町教会の土地を売却
- 87年に移転し、現在の練馬教会に至る
教会長の言葉
人間は人間らしく
現代社会は急激な科学技術の進歩により、日々の生活に便利なことが増えました。IT社会、生成AIの活用が人間社会に急激に活用されています。便利なところは積極的に取り入れ、知りたい情報が直ぐ解り、知識を高める人もいるでしょう。反面、使い方を誤り、他人への誹謗中傷などSNS上でのトラブルが頻繁に起こっています。人間らしい心のあり方が、形を変えてしまっているような気がします。本来人間は、相手の目を見て対話し、共感して笑い合ったり、時には人の辛い経験に耳を傾け、人はただ話を聞いてもらうだけでも心が軽くなるものです。
練馬教会では、悩みを抱えて辛い思いをしている人や、病気や怪我に悩み苦しむ人、人生の節目や次のステップに目標を持って、悩みながら取り組んでいる人の話をお聞きします。神様に不安な思いを預け、自分の力だけではなく大きな働きにすがってみて下さい。お話を聞いて取次者が皆さんの願いを神様に届け、毎日願い続けさせて頂きます。この神様は何でも聞いて下さり、根気強く願っていれば、必ずあなたが助かる道が開けていくはずです。先ずは、思いを願いにして神様に願いを聞いて頂きましょう。
『神には何でも願え。神は頼まれるのが役である』
『神は人間を救い助けてやろうと思っておられ、このほかは何もないのであるから、人の身の上に決して無駄事はなされない』(教祖の教えより)
宗教法人 金光教練馬教会
教会長 田中美和子
